とりあえず下見に行ったSSTR。
本番に行こうと思っていたが開催期限が2020年3月末なので結構ギリギリ。再度発令された緊急事態宣言にやきもきしていた。
1都3県以外の宣言解除は3月8日になるという話があったので3月中にシフトを組み準備をしていたSSTR2020、準備から結果まで書いていこう。
・準備編
下見で事故ったあとに安全靴を買い替えた、が使うためのラナパー塗り込みをやっていない。
人工皮革だがやるとやらないとではちょっと雨に降られたときの水の弾き具合だとか革の持ちが違う。というわけで
↑これが塗り込み前。
↑が塗り込み後。いやいいなぁ。
下見で気づいたことは千葉⇔石川よりも茨城⇔石川はめんどくさい。
千葉発だと首都高経由となるがあれは各地方にわかりやすく伸びているので看板を見ていれば何とかなる。
茨城発の場合選択できる道は少なく走りやすいがミスコース一つが大きく気付いた時には目的地とは遥か彼方となりかねない。
ナビが必要だ。しかし普段使わないし既存のナビケースは付け外しが面倒。…じゃあ自作か。
ダイソーはいいぞ(脳死)。タッパーと耐震マットを購入。タッパーはね
サイズがちょうどなんですよ。
スマホをバイクナビとして運用しているとたまに聞くのが手ぶれ補正センサーがぶっ壊れて写真が波々になってしまう現象。耐震マットを敷いて衝撃の緩和を目指す。
当然そのままだと深すぎてタッパー内でスマホが暴れるので浅目に切る。
耐震マット直だとべたつくのでゴムシートを敷く
ハンドルクランプ上面に取り付けたいので
クランプ接触部分にも耐震マット。
車体との固定はタイラップで行うので横ずれ防止の溝を入れたら割れた。
ライターで炙って溶着。
1時間ほど試走したがズレなど無し。なおこの画像にあるスマホは風呂で使っていたら死んだ文鎮なのでマジでサイズと重さの試験のみ。
これでナビ問題も解決!あとは本番だ!
尚、本編の画像3分の1を準備で使っている。
仕方ないだろ茨城⇔石川間なんてほぼノンストップだぞ。ひたすら走っていたぞ。
・本番
こんな感じで準備をしていざ本番。2021年3月10日~3月12日。
緊急事態宣言開けすぐに行くのはどうかと思ったが冷静に考えると人間とのエンカウント数が
スーパーでの食料買い出し < ロンツー
なのでむしろ密回避。みんなバイクに乗れ。
日の出とともに出発するために5時に家を出たが少し遅刻。
6時日の出のところ6時12分に開始。出発時のODOは33553km。今回でこのリヤタイヤとはおさらばの予定。
SSTRは一定数のチェックポイントを回る必要がある。
ナビ上は約700kmを7時間と出ていてすべての行程を100km/hで走り続けろと言ってきている。まぁ休憩を考えるとなぎさドライブウェイの日の入り17:50にはちょうどなんじゃねとどんぶり勘定。
でも高速から一回降りて指定道の駅に行くのは面倒+さすがにロスじゃねと思いまずは指定道の駅かつらへ。
朝霧がメットにまとわりついて視界が滅茶苦茶悪かったのでちょうどふき取りたかったタイミングで助かった。↓みたいな感じだった。
壬生PAにて休憩。あれ?この自販機群ってずんだに侵食されてなかったっけ?
と思い下見の記事を見返したがそんなことはなかったぞ。
東部湯の丸SAにてお昼。
ちょいちょい休憩しているSAにて食べつつ走っていたのでガッツリは食べないぞ、もとい食べられないぞ…最近山岡屋食べたら油少なめでもスープ飲みきれなくなってたよ…
うおぉ!トンネルを抜けたら山の斜面が白いぜ!凍結情報とかは出てないけど路面大丈夫かよ
ここまで雪に近づけたのは黒姫野尻湖PA、ここだけだった。やっぱ雪って氷点下なんやなと温度計で測って感動していた。
名立谷浜SAにて日本海を拝む。いやまだ14時だし余裕だろ…
と思うもこっから長いんだよな。石川は海岸線沿いに長い。
そしてついに…
あっ…
16時32分、ゴールだ!10時間走ったんだな。
なぎさドライブウェイ走ってないじゃんと言われそうだが
12月から急激に砂浜が減少し立ち入り不可。
一説にはダムの操作のせいで手取川から砂が降りてこなくなったとかがあるが真相は謎
元々3月は砂浜狭いらしいしね。
2021年3月25日には砂の搬入が始まったし来年のSSTRは無事に走れるだろうか…と記事を寝かせていたら4月16日、全線開通したぞ!いやぁよかった。
悲しみの撤退
ちなみにゴール後の景品受け取り、物販は近くの建物だった。
ゴール看板が駐車場に設置されていたのでぱしゃり。この受付建物が閉まってしまう可能性があったのでちょっと急ごうぜ!とアクセルを捻ったところ
バックミラーに写る白バイを見つけたので即座にアクセルワークのみでそれっぽい速度へ。事なきを得た。
ちなみにこの白バイはゴール手前の快走路を狩場としているらしくゴール前に一台狩られていました。
今年の景品はピンバッジ付き。
ちなみに2018年のスタンドエンドは実家で鍋敷きとして余生を過ごしている。
夕飯は8番らーめん。
石川県に1号店が出来たからこれはご当地飯だ。
真上からライトアップされているバイクを見るとAKIRAごっこやりたくなるよね。
東京オリンピックがどうにかなったらAKIRA一気見したいと思う。
いつもの旅籠屋にて。金沢内灘店。旅行の時は夜に呑む。といっても呑み方を知らぬので雑に買うだけなんだけど。
旅籠屋の冷蔵庫は1室タイプの冷蔵庫に冷凍スペースのあるタイプ。
ヨーグルト+ゼリーを冷凍室の直下に置いてしまい凍ってしまっていた…
・帰宅編1日目
さてSSTRが終わったのであとは帰るだけ…なのだが直帰は味気ない上に辛い。とりあえず朝食をとり
ゲーム中で「押野町」の駅が出てくるのだがどうも作者が過去住んでいたところらしい。ゲームでは地下鉄+商店街といった構成だったが駅周辺はどうだろうか…?
単 線 を 往 く 2 両 編 成 車 両
圧 倒 的 無 人 駅
うち捨てられた自転車が占める駐輪場(?)
中の掲示を見るにコロナ対策を呼び掛ける程度には利用者はいるのだろうか。
ということで聖地巡礼おしまい。
今回のSSTR、この高速乗った直後に日本アルプスを横一線に眺めることのできる景色が一番きれいだったまである。
城端SAにてお昼ご飯。
なんでもないから揚げ弁当だが日本アルプスを見ながら食べるとおいしい(語彙力)。
ここでお土産を買ったが鞄に入りきらないのでビニール袋を上に敷いて縛る。
何回か言っているけどタナックスは神。
さて、今回のSSTR、前回の事故のトラウマが克服できているかという確認の意味もあり事故を起こした飛騨清見ICで下道へ。
普段のツーリングで左カーブ自体への恐怖心はなくなったが果たして同じ環境、同じ経路でフラッシュバックすることはないだろうか。
前回はこのカーブで右壁面に接触してしまったが…
無事突破。体が硬直することもなくトラウマ克服といっても問題ないだろう。
道中のローソン。
バイク駐車場を構えるほどってことはハイシーズンはバイクだらけになるんだろうなぁ。
やたらと景色&天気がいい。
さて後は楽勝でしょと思ったが山越えがあることを失念していた。道中
行きよりも体感白い山肌に
割とカーブの続く下道で雪の回廊状態になっていたりいつコーナー先が凍結しているかドキドキしながら前進。
そういえば過去には諏訪湖を見るためだけに片道260km走っていたが平気でそれ以上走るようになったな。
帰宅1日目の宿、旅籠屋石和甲府店へ到着。
…疲労しているときに泡風呂へ行くものではないな、とかタクシーはジャパンタクシーよりコンフォートの方が好みだなとかちょっとした酒とつまみを買って帰宅。
スパークリング清酒(?)だがやたら飲みやすくてよかった。
・帰宅2日目
さて今日こそ帰宅だ。
基本的に旅籠屋ではゼリー+ヨーグルト+配布のパン&コーヒーが鉄板の朝食。
直帰もいいけど折角普段通らない経路経路で首都高に乗るので代々木PAへ。
いやぁ車は駐車場所が無くて悲しみのスルーをしているところサクサク停められるバイクはいいですなぁ。
はちみつソフトを食す。いやぁ働く人を見ながら食べるソフトははちみつ以上に甘いなぁ!
ここは埼玉から首都高へ来る車を眺めることが出来るので土日祝の夜なんか面白そうだね。
昼のC1を周回してみる…
やっぱ車が多いから来るならシンデレラタイムだな。東京オリンピック期間半額っていうのはどうなるかね。
ただ首都高グルグルしたいだけではなく、スズキワールドへリヤタイヤ交換の予約を取りに寄り道したかったのもある。
フロントをGT601に変更したのでリヤは変更なしのK510続投。GT601はK275と結構感触違うのでそのうちインプレ書くよ。
リヤタイヤ交換だけだと寂しいのでお布施がてらシビアコンディション点検もお願いした。3年目点検の時には交換の必要無し判定もらったチェーンとスプロケも変えよう。(散財)
大きな事故もなく帰宅。洗車は別日(3日後の休みにやった)にするとしてチェーン清掃はすぐにやっておこう。
こんな雑清掃でもディーラー整備士からは特にお咎めもなく「え、まだまだいけますよ」と言われる状態。スズキワールドはホントに商売っ気出してくれ。なんか申し訳なくなる。
ということで走り回った3日間だった。
1328.9km走行、31.49L給油、平均燃費は42.2km/Lとなった。
宿泊道具ガン積み&高回転気味だといい方ではないだろうか。
今回のSSTRではジクサーの巡航性能に不満を覚えることはなかった。やはり心に余裕を持っている方がいいんだなと実感。
コロナ対策のため変則的開催となったSSTR2020、これはこれでいい体験となった。
SSTR2021は開催日が決まったり取り消しになったりバタついているがSSTRカフェを作ったりと頑張っているのでコロナ収束まで、ひいてはそれからも参加していこうと思う。